代表者プロフィール
公認会計士・税理士 水越 穏郎
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昭和51年11月生まれ。兵庫県立神戸商科大学(現 兵庫県立大学)を卒業後、22歳で公認会計士試験合格。
保有資格 | 公認会計士、税理士 |
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略歴 | 中央青山監査法人等を経て、系列の中央青山コンサルティング(株)に勤務 。 |
趣味 | ○食べ歩き。B級グルメ専門。値段が安く、ボリュームのある洋食屋さんが大好きです。また、スイーツが大好きで、おいしそうなケーキ屋さんを見るとついつい |
血液型 | マイペースなO型。 |
公認会計士になるまで
高校の時に通信教育の"進研ゼミ"に、職業・仕事紹介のコーナーがあり、そこで紹介されていた公認会計士という職業に、なんとなく憧れをもっていました。
大学2回生の時、大学に通いながら、公認会計士試験受験のための専門学校にも通い始めました。大学卒業年に無事試験に合格しましたが、この時まさか合格しているとは思っていなかったので、合格発表を見に行っていませんでした。同じ専門学校に通っていた友人からの電話で、初めて自分の合格を知り、慌てて就職活動用のスーツと鞄を購入したのを覚えています。
監査法人でのサラリーマン時代
監査法人では、主に株式公開している企業の会計監査に従事しました。大手のメーカー、小売、金融業と様々な業種に会計を通じて関わり、とても優秀な経理マンの方々の仕事ぶりを見て、こちらが勉強させられる側のような感覚でした。公認会計士の業界は試験合格後の20代前半でも、組織内では一人のプロフェッショナルとして扱う風土がありました。ある意味プレッシャーですが、その分、早く成長しなければならない原動力にもなったことも事実です。
コンサルティング会社への移籍
5年ほど監査の経験を積んで、その後、中小企業の事業再建に興味を持ち、系列のコンサルティング会社への移籍を希望しました。そこでの主な仕事は事業再生支援、つまり資金繰りが厳しい会社に入り、まず実態調査を行い、再建計画を立てるというものです。数字面から企業の再生をサポートする仕事です。計画を作る仕事は、あらかじめ答えが用意されておらず、その場その場で会社、金融機関等、利害関係者の状況を考慮し、絶妙なバランス感覚が要求されます。
コンサルティング会社では、当初は足を引っ張ってばかりでしたが、とても優秀な先輩方に恵まれました。物事を分析する視点や、いかに解決策を導くかの考え方を教わることが出来、今の自分にとってかけがえのない経験を積むことができました。
独立開業に至って
20代後半、自分は何をやりたいのか自問自答することが多くなりました。 組織の一員では無く、自分自身がオーナーシップを持って、中小零細企業のお役に立て無いか?そういう思いが強くなりました。
ならば独立は早い方が良いと考え、30歳の時、結婚と同時に会計事務所を立ち上げました。コネなど一切なし、お客様もなしのゼロからのスタートでした。阿倍野区の住居用賃貸マンションの6畳の和室にテーブルと座布団を置いての事務所でした。
今後の目標
大阪の街に元気が無くなっていることを、普段の生活、また仕事を通じて実感しています。商店街はシャッターが閉まったままの貸店舗が増え、また、テナント募集の張り紙のあるビルがそこかしこに見られます。
景気が悪いと最初に煽りを受けるのは、零細・中小企業、個人商店です。これは日本経済の構造上、避けられない面も確かにあります。ただ、そこで諦めるわけにはいきません。
私は、苦しい状況にある零細・中小企業、個人商店を営むお客様と、共に苦境を脱するための方法を考え、サポートする存在でいたいと思います。生き残る方法は必ずあると思います。
たとえ、どんなに事業の規模が小さくても、その事業にはご家族や従業員の人生がかかっています。
また、ご自身の営む事業について、他人には分からない様々な思いがあることだと思います。
お客様の大切な事業において、税理士・会計士としてお力になれる範囲は限られているのかもしれません。
しかし、現実問題、中小零細企業、個人商店を営む方々にとって唯一接点のある専門家は顧問税理士だけである、というのが実情ではないでしょうか。
そうであるなら、個々のお客様の抱える悩みを共有し、助言できる立場にあるのは唯一、顧問税理士だけということになります。
私は、そういった税理士の立ち位置を常に意識し、知恵を絞り、お客様の立場に立って仕事をすることが大切な使命であると考えております。
多くの方が抱く税理士に対するイメージは、敷居が高い、固くてとっつきにくいといったもののようです。まずはこのイメージを変えることが必要だと思ってます。
経営者とは孤独なものです。そんな皆様の良き相談相手となるよう、日々精進の毎日です。まずは、お気軽にお問い合わせください。